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上田誠×諏訪雅×永野宗典(立ち上げメンバー)鼎談


永野 けっこう僕ら、5周年鼎談、10周年記念パーティーとか節目を大事にしてる気がしますよね(笑)。
諏訪 多いっすね、この3人で喋るのが。旗揚げ3人なんで、もう。
上田 意外とね、原点に立ち返る機会が。
諏訪 だから、20周年だなって僕らはすごく感じてるけど、メンバーにはそう思ってない人の方が多いっていうのが辛いね。
永野 確かに。僕と諏訪さんの二人芝居から始まってるから。
諏訪 みんなはなんかちょっと「ふーん」みたいな感じで。
上田 でもね、確かにそうなんですよ。
ふわっと始まって、「いつの間にか始まっちゃったよね」みたいな感じでは案外なくて。
永野 計画を立ててね。でも第1回公演は学園祭で、それ以降のことは特に考えてなくて。
諏訪 まあね、ヨーロッパ企画っていう名前もなかったし。
だから、旗揚げメンバーではない……旗揚げメンバーは第2回メンバーかもしれない。
上田 僕らの中であれを第1回公演と思い過ぎてるんですけど(笑)。
第2回をやるときに「あれを第1回だったことにしよう」って決めたんですよね。
諏訪 そうそう、後からなんよ。「あれを利用したろう」ってのはあったからね。
「実績ありますよ」っていうのが欲しかったから。
上田 歴史を書き換えたっていうか。
永野 第2回公演は、メンバーもね、今のヨーロッパ企画らしいメンバーが割といて、もう。
上田 まあ、けど、第1回公演をやってみたら、すごい第1回っぽかったってことですよね。
諏訪 なんか「ここから始まるぞ」っていう感じがあって、そこから「続けよう」ってなったから。
意味としては第1回公演ですよ。
上田 ただ、これを言い過ぎてて。「今年で20周年ですね」ってインタビューをされたときに意外と全員の温度が違ってて、「僕らは18年です」とか「僕は14年ですけど」みたいな声がけっこう出て。
永野 足並みが揃わないんですよね、この。
諏訪 いやでも、学校とかね、創立100周年とか別に、100年いないけどみんなでやるわけじゃないですか。それでいいと思うんですけどね。
上田 一応、20周年と謳ってるんで、オフィシャルにはそういう歴史にさせていただき。
どうですか、20年。変化とか。
永野 こないだ第1回公演を観たときに「あ、変わってないんやな」って思った、やってることが。
上田 ああ、京都シネマの上映会ですね。
永野 ちゃんと丁寧に台本書いてるな、という部分もあったし。
上田 そういう意味では、今回「サマータイムマシン・ブルース」の台本を改めてやってみて、もちろん当時より上手くなってたり、深まってたりする僕らのやり口もあるけど、一方で、当時の時点で、普通によくできてるから、あんまり変わってないですよね。
諏訪 結局、ああいうことが好きやしね。好きなものがあんまり変わってないのかな。
上田 どうですか、「サマータイムマシン・ブルース」をやってみて。
永野 真摯に向き合わなきゃなっていう。「2005」から13年ブランクありますけど、13年経っても残ってるんですよね、昔の感触とか、台詞の言い回しとか。
でも、今の自分がやるに当たって、どうあの青春感を出すのかっていうところは、稽古初日はすごい考えちゃいましたね。できちゃうんですよ、コピーみたいに。
諏訪 台詞のリズムが完全に入ってて、それ以外の強弱でやるのが気持ち悪い。
忘れてるかと思いきゃ、まだあるなぁ、忘れた方がいいのかなぁ、とか。
永野 きっとなぞったらうまくいくんだろうなと思うんですけど。
それじゃ面白くないなという思いもあったりして。
上田 僕は「サマータイムマシン・ワンスモア」を現在のものとしてつくりたいから、「サマータイムマシン・ブルース」は、当時から進化させないようにつくろうという感じですね。
昔やったからって、あんまり面白くないことをしてもしょうがないんで、明らかにここは変えた方がいいな、と思う部分は変えてますけど。
諏訪 「笑いに忠実に」みたいなことを言ってたよね、稽古の最初で。
当時のまんまの良さはあるけど、それでも笑いの部分に関しては、今ウケることを、というか。
上田 今は、当時の「サマータイムマシン・ブルース」を別の人が書いたと思って演出してて。
そしたら、そこには敬意が生まれるんで。当時のままの台本にまずは身体を合わせてやってみて、やっぱり違和感あるな、っていうところは、「すいませんけど、変えさせてもらいます」っていう感じで。
永野 年齢が違うことで舞台に立つ状態も違うし、「この台詞しつこいなぁ」ってところをカットしたら、めっちゃやりやすくなったとか。そういう細かい調整を、今の僕らの身体に合わせて。
上田 「サマータイムマシン・ブルース」は、世界観と仕掛けの両方が上手くいってて。
世界観のところで、お客さんが持ってる「青春観」をいい感じにくすぐれたっていう、意外と観客一人ひとりの思い出の力を借りてるっていうところと、あと、タイムマシンのパズルは、当時でもすごい時間を掛けて考えたんで。
今読んでも「どうやって書いたんやろう」って思いますね。
永野 でも、先に再演したのは「冬のユリゲラー」でしょ。
「冬のユリゲラー」は今読んでどう思う?
上田 その2作はやっぱり上手ですよね。
でも「サマータイムマシン・ブルース」は当時僕ら大学生だったんで。
大学生たちが大学生っぽいことをやっていて、しかも作品として質が高いっていう。
ヨーロッパ企画の集団のイメージも作ってくれたんですよね。
諏訪 劇団の状況を劇に盛り込んでた時期があったけど、そうし出したのは「サマータイムマシン・ブルース」からかなあ、って思う。
たまたまそうなったん?
上田 そうですね、なんか等身大のことをやってみよう、ぐらいの気分でした。
その1年後の「ロードランナーズ・ハイ」では、自分たちの状況をけっこう意識したかなあ。
最近では、あんまりそこは気にしないようにしてて、けどどっかしらはシンクロする、っていう。
例えば、「来てけつかるべき新世界」は僕らがおっさんになって、かつ関西というか地元っぽいところにいる劇団でっていう、久しぶりに重なるところが多かった。
ぜんぜん重ならない作品もあるんですよ、頑張ってつくったのに。
永野 「遊星ブンボーグの接近」とかは、状況は重なってないか。
諏訪 文房具好きの小人とは、重ならんよね(笑)
上田 あのときはほら、世の中が剣呑な戦争の話とかしてたから、「そうじゃなくて悠長な劇を僕たちはやるんだよ」っていう重なりが生まれるかなと思ったら、全然重ならなかった(笑)。
永野 でも元々、学生から初期の頃は、けっこう諏訪さんが「こういう公演をしよう」ってプロデュースしてたでしょ。
諏訪 最初ね。やってた。
永野 作品のことに関してはそんなに言ってなかったんでしたっけ。
「こういう作品をやろう」みたいな。
諏訪 今でいうと企画性の部分というか、「テントでやろう」とか、大枠の部分を決めてたね。
「吉田寮(食堂ホール)で空飛ぼう」とか。劇の内容じゃなくて、話題性の方を。
上田 まあ、プロデューサー的な。
永野 ガンガン公演を先に決めていってた印象ですね、今思うと。
2002年に「冬のユリゲラー」で東京の演劇祭に参加するって決めたのも諏訪さんだったし。
諏訪 でも、最初のころバーミヤンに集まってさ、「こんな公演やりたい」みたいなネタ出しはしたよね。
劇団名をつけたときか。
上田 動物を出すとか、銭湯の舞台で裸で劇をやるとか、出前取るとか。
永野 それ、劇団名決めたときでしたっけ。じゃあ、僕もいるな。
上田 あれがいいんですよ、やっぱり。「企画性コメディ」そのものというか。
  みんなで「こんな劇やったら面白い」って言いあって、盛り上がるのがいい。
脚本・演出家が「自分の今持ってるテーマはこれだから」ってやるのはあんまりよくないですね。
こないだもそうなりましたよね、第39回公演の話をしてて。
諏訪 上田が概念を書いてきて。内容もよくわからんし、「デジタルがどうのこうの」みたいな。
もうちょっとわかりやすい「なんたらコメディ」って書いてくれへん?って持ち帰ってもらったっていう。
上田 でも、それは大事なことなんですよ。大反省したというか。
永野 「宙吊りやりたい」とかって、すごくわかりやすいですもんね。
上田 最近の本公演の辛さってそこなんですよね。人に言われなくなったから。
諏訪 まあ、決定権が全部上田にあるからね。
上田 正直「この人でいってくれ」とか「このテーマでいってください」とか人に言われたら全然つくれるんですよ。
諏訪 お題があった方が。
上田 「上田さんがやりたいことを」って言われると辛いんですよね。
永野 でも「企画性コメディ」やり始めてからは、「○○コメディやりたい」って、みんなでネタ出ししたよね。
上田 できるだけみんなで共同作業ができるようにそうしてるんですよね。
永野 旗揚げのときは自然にそれをやってたからね。
諏訪 観客動員のことしか考えてなかったから。「いかに話題を」って。
永野 目標が観客動員じゃなくなってきたから、わかりづらいですよね、今。作品性になってる。
諏訪 あと、「アンチ演劇」っぽい部分があったやん、当時。
周りの劇団たちに対する「もっとおもろいことあるのに」みたいな、そこから始まってるから。
でも意外に20年やってたら「めっちゃ演劇やってるな」っていう感じになってる。
上田 みんな客演したり、いろいろ経験してるから、演劇のことも知ってきてて。
諏訪 そうかもしれん、普通に常識人になって。
昔はヤンチャで、今は大人になっただけかもしれんけど、「あれ?普通に演劇やってる!」って思いますね。
上田 確かに、今の方が洗練されてたり、リッチになってるとか、深まってたりするところはあるんですけど、珍しいことをしたい、みたいな性根は、立ち上げたときからあんまり変わってなくないですか。
「どんどん進化していったんですよ」っていう感じではないんですよね。
諏訪 公演会場が増えたりはしたけど、やりたいことは変わってないって感じかな。
上田 好きな感じのことは同じで、その好きな感じのことを20年やろうとすると、上手くなっていかなきゃならなかったり、手数を増やしていかないと飽きられたり、当時は若さでいけたけど今はちゃんとしてないといけないとか、やらなきゃいけないことが増えてはきてますけど。
やりたいなって思う面白さの感じはあんまり変わってないですよね。
永野 うん、変わってないな、と思う。
上田 旗揚げした当時の自分が今のヨーロッパ企画の劇を見たら「面白そう」って思うと思うし、今このタイミングで若い人たちが初期のヨーロッパ企画みたいな劇団を立ち上げたら、やっぱりドキドキすると思うんですよ。
諏訪 今後も別に、変わらんのやろなぁ。
上田 でも、どうなんでしょうね。最近はずっとそれを考えてるかもしれないですね。
これからの20年というか、21年目以降を。20年目はなんとなくアニバーサリー感で突破できるとして。
諏訪 毎年突破を考えてるよね。別に人気があるとは思わないけど、急に周りの人たちに「スン」ってされたら、僕らもうどうしようもないもんね。
上田 お客さんから見ても、「あの人らなんとなく停滞したな」って思われたら、途端に観にきてもらえなくなると思う。
劇団の中のことでも、やっぱりそれは同じで。
ちょっと安心感が出ちゃうと、稽古場の空気とか、ちょっとしたことにすぐ現れるんですよね。
だから、いつも気を抜けない感じはあるかもしれないですね。
諏訪 毎年気合を入れて突破していかんと。
上田 ふとしたゆるみから現れるからね。
諏訪 12月には「解散や!」ってなってるかもしれん。気をゆるめたらね。
永野 そういう意味では、年々「次、突破しなきゃいけない」っていうハードルが上がってる感じはする?
上田 それは思いますよ。
諏訪 でも、それは年によって違うでしょ。「サーフィンUSB」のときは正直突破できひん壁があったやん。
でも「企画性コメディ」を思いついてからは割と突破しやすくなったとか。
永野 抜け道を見つけるようにこう、クリアしたというか。
諏訪 上手くなってんのか、突破の仕方が。
上田 「サーフィンUSB」は逆に僕が「今回ダメです」ってなってしまったことで、じゃあ劇団員が頑張らなきゃいけないっていう、それはそれで、今まで使ってない筋肉を使ってなんとか突破した感じがある。
永野 けど、いつか上田くんに頼らず僕らでやんなきゃいけない公演がくるのかな、みたいな緊張感はどっかであって、その時はそう思ったタイミングだったことは確かで。
諏訪 あぁ、それはあるな。ほんまに上田が年々しんどそうになってたから、あの頃って。
脚本の相談も、昔はたまに誰かが行けばよかったのが、毎日のように誰かが行って、とか。
上田 「サーフィンUSB」以降、「企画性コメディ」以降はちょっと力が抜けたんでしょうね。
永野 突破できる技術の1個なんかな、「企画性コメディ」は。
上田 でも、やっぱりまだ危ないなと思うことはありますよ。ちょっとしたことなんですけどね。
劇団員とか、ヨーロッパ企画にいてくれる人たちが、なんとなく「ああ、今回もこんな感じの公演ね」ってなってるなぁ、っていうのがわかるとすごい落ち込みますね。
諏訪 内部の温度、すごい気にするもんな。
上田 それは「今回は出なくていいや」に繋がるから。そうなるともう、おしまいなんで。
諏訪 それはいつ感じたん? 最初の頃って別に内部の温度とか気にせずやってたことない?
永野 やっぱり辞めるメンバーが出てきたりとかいうタイミングなんかな。
諏訪 辞められるのがとにかく嫌で、上田は。
永野 それがあるからね、ずっとメンバーが変わらないっていうのはあるかもしれないですね。
上田 辞められるのは嫌かもしれないですね(笑)。それは、メンバーもスタッフもそうかも。
しょうがないんですけど、単純に、一緒にやればやるほど培えるものってめちゃくちゃ大きいから。
諏訪 スポッと、そこがただただマイナスになるっていう。
上田 あと、共同作業で劇を作る感じも、やっぱりもっとやりたいですね。
一人の人間が30何本も劇を書くって……書けないんで(笑)。
「この公演は誰かのために書く」とか、「この公演は誰かに頼まれたから書く」っていうのがあれば、無限に書けるんですけど。
永野 前回だったら「角ちゃん(角田貴志)とつくる」って明言してたしね。
上田 でも、いつもそれメンバーから嫌がられるんですよね。
最近は「今回は酒井くんとやります」とか「今回は角田さんとやります」みたいにしてて。
今回の「ブルース」と「ワンスモア」は写真の話なんで、なんとなく諏訪さんかなとか言ってたんですけど、ちょっと微妙にこう、重たいじゃないですか(笑)。
諏訪 なんやろね、プレッシャーとか……全然、相談には乗るんですけどね。
永野 でも傍から見て「羨ましいな、あのポジション」って思いますけどね。
上田 あ、そうなんですか。じゃあ来年は永野さんで、妖怪コメディを(笑)
諏訪 永野イヤー。意外とやってないよね。「こういう劇やりたい」みたいな。
上田 不条理劇場が打ち止めになって以来。
永野 翼をもがれて以来。
諏訪 不条理的なことをやってもいいよね。いつもきっちり伏線張ってるけど。
上田 でも、前回の「出てこようとしてるトロンプルイユ」は、永野さん好きだったでしょ。
永野 うん、好きだった。
上田 永野さんっぽいコメディを書こうとも思ってたんですよ。
永野 裏テーマ。聞いたことなかったですけど、当時は。
上田 永野さんに当て込みすぎて、永野さんがあんまり出てこないっていう(笑)。
諏訪 まぁ、だから、お題は自分から出してもいいし、他の人から出てきてもいいし、みたいな。
上田 そうですねえ。と言いつつ、やっぱり自分たち発信のことをやんなきゃとも思うんですよ。
旗揚げした当時は自分らで「こんなことやろう」ってやってきたけど、最近は外から「こんなことやりませんか」って頼まれる仕事も増えてきて。
それはありがたいし楽しいけど、そればっかりになってもよくないなって思ってて。
新しいことは自分たちでやりたいというか。
諏訪 今は本公演はツアー10何ヵ所って当たり前になってるけど、1ヵ所、どこか個性的な会場を借りてやりたい、みたいな気持ちはあるけどね。
上田 その辺の外枠も、たまには変えていかないとですよねえ。
  まあ、劇団のメンバーと僕のリズムって、ズレることも多かったりして。
僕が「みんなもっと外に出ていこうよ」って言っててもメンバーがのんびりしてる時期もあれば、「今はもっと自分たちのやりたいことを見つめようよ」って言ってもみんな意外と外の方を気にしてたりとか(笑)。
だからいいのかもしれないですけど。
諏訪 引っ張り合ってやっていける方が。
永野 それがいいんですかね? きっとね。緊張感が。
上田 だから、最初は割と諏訪さんが集団を引っ張って、僕は家でじっくり書く、みたいな感じだったし。
関係が変わった時期もあって、吉田さんが引っ張って僕らがついて行く時期もあるし、いろいろなんですよ。
諏訪 やりたい企画のことでいうと、30周年では、「ワンスモア」と「ワンスモア」の続編つくろうよ。
上田 フォーエバー。
永野 「サマータイムマシン・フォーエバー」(笑)、いいっすね、それ。
諏訪 じゃあ、30周年でそれを上演ということで。